右肩下がりの時代

名張市は三重県の北西部に位置し、奈良県と県境を接する山間の自治体である。近鉄電車で大阪に直結されていることから、昭和四〇年代以降、大規模住宅地の開発が進行し、関西圏からの流入人口を受け入れることで、大阪のベッドタウンとして発展してきた。昭和二九年の市制施行当時に三万人だった人口は、現在では八万五〇〇〇人を数えている。

しかし、関西圏の活力の受け皿として成長してきた名張市にも、右肩下がりの時代が訪れた。順調に増えつづけていた人口は平成一二年をピークに減少に転じ、毎年一〇〇人程度減りつづけている。税収も減少し、平成一二年度の一〇〇億円に対して一六年度は九〇億円。全国の自治体同様、財政難はいよいよ厳しさを増している。

名張市のように宅地開発によって急激な人口増を見た地方都市は、どこも共通の問題を抱えて発展から停滞への道をたどる。その例に漏れず、名張市でも定年退職や高齢化が同時的に進行し、とくに高齢化は急速に進んでいる。現在の高齢化率は一七%だが、一〇年後には二八%になるものと予測されており、対策は焦眉の急といえる。

私が名張市長に就任したのは、平成一四年四月のことである。それ以前は三期一一年間にわたって三重県議を務め、改革派として名を馳せた北川正恭知事の改革に連動して議会改革にも取り組んだが、住民の生活に直接かかわる基礎的自治体の首長として改革に携わるのは、相当に厳しく難しいことであると覚悟しての市長就任だった。

市長として名張市の舵取りを担当することになったとき、自分の覚悟がまだまだ甘いものであったことを私は痛感した。市財政は予想していた以上に硬直しており、名張市はいわば瀕死の状態だった。「待ったなし」の改革しか名張市が生き延びる道はない。私はそう考えて、スピーディな改革を構想した。

合併せず自立の道

私が市長として真っ先に手がけたのは、いうまでもなく行財政の改革である。平成一四年九月に財政非常事態宣言を発表し、時間的な余裕がまったくなかったことから、期限を二年間に限定して、後述する市政一新プログラムなどの改革をスピーディに実践した。

一方、名張市は市町村合併問題にも直面していた。名張市を含む伊賀地域七市町村の合併で「伊賀市」を発足させる協議が進行していたが、名張市は協議に加わっていなかった。私は協議のテーブルに着くとともに、選挙の公約として市民に約束していた合併に関する市民投票を実施した。平成一五年二月に行われた投票の結果は、投票率約六〇%、そのうちの七割が合併に反対という意志を示していた。この結果を重く受け止め、私は合併からの離脱を表明した。

市町村合併に加わらないという選択は、合併による特例措置で財政を建て直す道を閉ざすことを意味していた。名張市はいわば二重のピンチに直面することになった。だが、ピンチはじつはチャンスでもある。日本社会そのものが歴史的な変革期を迎え、明確な進路を見失っている現在、名張市が独自の改革を推し進め、自立した持続可能な地方自治体として二一世紀を生き延びるシステムを構築することができるならば、市長としてこれほどやりがいのある仕事はないだろう。

逃げ場はどこにもない。ただ前進するのみ。平成一二年四月の地方分権一括法施行は、中央政府が分配能力の低下によってギブアップを宣言し、地方自治体に対してこれまでのような保護者としての責任を果たせないことをみずから明らかにするものであった。つまり地方自治体には、自立のための努力を重ねるしか道がないのである。私は名張市の改革を進めるための三大プログラムを策定し、実施に移した。

プログラムの推進

三大プログラムといっても、それぞれが別個に存在しているわけではなく、緊密に連携し連動して実施されている。その根幹をなすのは補完性の原則である。地方分権という言葉とともに語られることの多いこの原則に基づいて、あくまでも地域住民が主体となり、それを基礎的自治体である市町村が、さらには県や国が補完してゆくことで新たな地域社会を構築する、そうした社会システムをつくりあげるのがプログラム全体の狙いである。

そのひとつが市政一新プログラムである。官の論理から民の論理への移行を進め、財政規模に見合った行政サービスの提供を行うために策定した。民間人や学識経験者による市政一新市民会議が提案をまとめたあと、市長を本部長とする市政一新本部がそれを受けて協議を進め、最終的なプログラムを決定。それに基づいて市政一新委員会が具体的な作業を手がけるという形で、行政の効率化と合理化を達成した。

そのほか、市政全般に関わる改革を列記しておくと、ニューパブリックマネージメントを導入し、自治体の「運営」から「経営」へ職員の意識変革を進めた。また、市民と情報を共有するためにガラス張りの市政への転換を図り、市の広報を一元化して月一回の発行を週一回に改めることで、情報提供の量と質、そしてスピードを向上させた。さらに、▽ITなどを活用して市民から市長への意見を募る▽会議を公開する▽タウンミーティングを開催する▽パブリックコメント制度を採用する・・といったことが挙げられる。

市民と行政の約束制度であるシティズンズチャーター制度も取り入れ、市民への約束五項目、市民へのお願い三項目をまとめ、指針として発表した。市民への直接的なサービスを対象とした部門別の指針も、今年度中には発表できる見込みになっている。

福祉の理想郷

自治体の改革は明確な将来像に基づくものでなければならない。私は改革によって「福祉の理想郷」を実現することを目標としている。福祉とは、社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福のことである。とはいえ、限られた財源と多様化する価値観のもとで、やみくもに幸福を追求することは不可能である。何を基準として市民の幸福を追求すればいいのか。私は暮らしやすさに焦点を絞った。

名張市民を対象にしたアンケート調査では、八割以上の市民が住み良さを実感し、名張市に住み続けたいと希望している。望ましい都市のイメージは、・医療機関・保健福祉の充実したまち・生活環境が整備された住宅中心のまち・自然や田園に富んだまち・・というものだった。こうした市民意識に照らしても、生活者を起点として暮らしやすさに特化した地域づくりを進めることが、名張市の選択としてはベストのものだと判断される。

「福祉の理想郷」という具体的な目標を、私は名張市の新しい総合計画に盛り込んだ。この総合計画が、三大プロクラムのふたつめである。そして三番目として、この目標を実現するシステムを確立するために、「住民自治の推進とコミュニティの再生」を目的としたプログラムをまとめた。ここにおいて改革の目標とプロセスが明確に定められ、それは市民にも広く周知された。

住民自治が確立され、住民の自己決定と自己責任でコミュニティが再生されれば、地域そのものの力が向上し、現在の自治体や地域が抱えている多くの課題は自然に解消されるはずである。逆にいえば、地域の自立なくして自治体の自立はあり得ない。

そう考えて、私はふたつの試みを実施に移した。ひとつは地域づくり委員会とゆめづくり地域予算制度、もうひとつは市民活動支援センターと公募型委託事業である。

主体は地域住民

地域づくり委員会とは、地域社会が多様性、総合性、迅速性を発揮する土台をつくるための組織である。地域住民が情報と目的を共有し、一丸となって活動すれば、教育、福祉、環境、防犯、防災など広範な分野で地域力のアップが期待できる。

そのためには、まちづくりの主役は自分たちであると住民自身に深く認識してもらうことも必要である。行政の役割はあくまでも市民の自発的な活動をサポートすることであり、従来のようなまちづくりへの市民参加ではなく、まちづくりへの行政参加という新たな形態への移行が進まなければならない。

具体的な手順としては、まず名張市内を小学校区単位で一四の地域に分け、それぞれに地域づくり委員会の設置を呼びかけた。その結果、平成一五年九月には全一四地区で委員会の発足を見た。住民自身が考え、住民の手で地域をつくる活動がスタートしているが、私が予想もできなかった事業を実現して見事な成果を挙げている地域も少なくない。

地域づくり委員会には、ゆめづくり地域予算制度によって一定の金額を交付している。ただし一般の補助金のように使途を限定することはせず、すべては地域の裁量に委ね、住民が知恵とアイディアを持ち寄って事業を企画運営している。従来の地域への補助金は全廃してしまったが、こうした新しい制度を採用した背景には、住民ニーズが多様化し、画一的な補助金システムで住民満足度をアップさせることが不可能になったという事情がある。

この試みが目指しているのは、ひとつの自治体の内部で、地方政府から各地域へという都市内分権を進めることにより、新しい住民自治を実現することである。地域づくり委員会に執行部、議会、外部監査制度という体制が確立されれば、それは地域政府と呼ばれてしかるべきものになるだろう。行政は推進チームを編成して支援体制を固め、地域政府をバックアップする存在になる。地域住民自身による地域づくりは、このシステムによって可能になるものと確信している。

市民活動の支援

地域づくり委員会を縦糸だとすれば、さまざまな地域住民によって組織された市民活動団体は地域社会の横糸である。そうした団体の活動拠点として昨年四月、私は市民活動支援センターを開設した。市庁舎内には敢えて設置せず、既存公共施設の一部を利用した。その理由は、市民活動団体は行政の下請け機関ではなく、行政と協働し、競争し、ときに対立しながらも、自立した組織として活動するべきであるということを、官民双方によく認識してもらいたいからである。

こうした市民活動団体は、これからの地域社会を支え、地域経済にまで影響を及ぼす存在として進化する可能性が高い。現在は既存施設に間借りしている状態だが、三年以内に駅前の一等地に施設を新設したいと考えている。今後は、市の税財源の一部を直接財源化できるシステムを構築すること、機能のさらなる充実を図り、民間による運営を進めることなどが課題になってくる。

市民活動を支援するために、公募型委託事業制度も実現した。事業の企画提案を公募し、採用した事業の経費は市が委託料として支出、各種団体と市の共催で事業を実施するというシステムである。平成一五年度には一〇件、一六年度には一三件が実施された。一件三〇万円だった委託金の上限を引き上げたうえで、一七年度には委託料として総額一〇〇〇万円の支出を見込んでいる。

市民活動団体のネットワークや機動力、企画力などには行政が遥かに及ばないものがあり、事業は年を追って充実することが予想される。事業を通じて行政職員と市民活動団体が刺激し合い、切磋琢磨することもおおいに期待できるだろう。

以上のような試みによって、名張市では多様な主体が連携協働し、「新しい公共」という概念を現実のものとしつつある。名張市に市民が主体となった新しい社会が実現されたときこそ、私の夢が叶ったときなのである。

-『地方自治職員研修』2005年3月臨時増刊号78号-寄稿文-
月刊『地方自治職員研修』編集部(公職研)/編

名張市長  亀井利克
平成17年3月